無理しなくてもいいのかも
歳を重ねるごとに味の好みが変化していく。
子供の頃は嫌いだったけれど、大人になると美味しいと思うようになった食べ物は沢山ある。
納豆もそう。
我が家では納豆が食卓に上ることがなかったし、外食でも納豆が入っている食べ物に遭遇したことがなかった。
というか、メニューとしてはあったのかもしれないけれど、眼中になかったので、存在を完全に無いものとしていたのだと思う。
しかし、高校生の時、食わず嫌いは駄目だと思い、自分で3パックセットの納豆を買ってきた。
まず、1つ目は付属しているタレをかけて食べた。
イメージ通り、足のにおいの食べ物だと思った。
だけど、せっかく貴重なお小遣いを使って買ってきた物だ。それで諦める訳にはいかない。
2つ目はタレに生卵をプラスアルファした。その当時の私にとって、卵かけは最強のご飯の友。納豆がダメでもそれを打ち消す程の力が卵かけご飯にはあるはず…。
1口食べた時、口の中に広がった味わいは、やっぱり足のにおいの味やった。
むなしく3パック目は食べずに処分することにした。もはや、お小遣いを無駄にすることより、3パック目を食べる事の方がきつかった。
お小遣いを無駄にしてしまった後悔もあり、今後、絶対に納豆を食べないと心に強く誓った。
それから、10年以上たったある日、居酒屋のバイト先の店長がまかないに納豆を出してきた。
食べられないねんけどな~と思いながら、全く手を付けないのは申し訳ないと思い、1口食べた。
あれ!?美味しい!と感じた。
納豆の上にネギの小口切りが乗っていて、納豆のねっとり柔らかい食感とネギのシャッキリ食感が妙に合っていた。
私は家に帰ってから、納豆って家族皆んな嫌いなんやろかと母親に尋ねると、父親は食べるし、母親も嫌いではないとのこと。それならなぜ、今まで1度もご飯に出なかったのかと聞いたけど、なんでやろ~なんとなくと、特に理由はなかったようだ。
それからは我が家の冷蔵庫には納豆がレギュラー入りすることとなった。
今では大好きな食べ物の1つである納豆だけど、居酒屋のまかないに出てなかったら、私はもしかしたら一生納豆を食べてなかったかもしれない。
そういう食べ物って他にもいっぱいあると思う。
なので、子供の時に嫌いな物を絶対に残したらダメと無理して食べさせなくてもいいのかなと思ったりする。無理に食べさせると、めちゃくちゃ不味いというイメージがインプットされ、せっかく大人の味覚になった時に、本当は美味しく食べられる物を一生食べないままになりそうだ。
食べ物だけじゃなく、物とか事柄とか対人関係とかにも、そういうことってあるように思う。